自己肯定感という言葉をよく聞くようになりました。
正式な言葉の定義は知らないけれど、自分の自信がない、「自分はなんてダメなんだ・・・」という状態は「自己肯定感が低い」状況なのだと理解しています。
今回は自己肯定感が低いことを自覚し、何とかしたいと思いつつどうにもできない時期を経て、それが出張で海外に滞在して劇的に改善した、という体験談を記します。
記憶が確かなうちに今の自分の状況を振り返り、海外に滞在した時の何が自己肯定感を高めることに影響したのか、日本で同じようにスランプに陥った時にどうすればいいか、という処方箋を持って帰りたいと思います。
自己肯定感が低いことを自覚
ここ数ヶ月の間、仕事に対するモチベーションが上がらず、スランプなどから何もかもが嫌になり、部署移動や転職も含めて「今を抜け出す」ための足掻きを始めていました。
一番の原因は上司ですが、それ以上に「自分は今の仕事に向いていない」「自分はなんて能力が低いのだろう」と悩み、反省する日々が続いていました。
自分で悩み苦しむだけならいざ知らず、そこに合わせて子育てなどの「自分の思い通りにいかない仕事」に対してストレスを感じ、子供にまできつく当たってしまう始末。
何だかんだ仕事に集中すればいいのかも、と思うこともありましたが、仕事に取り組むことが億劫な状態の対応策が「仕事に集中する」って拷問かい、って話で。
こんな状況は良くないと自覚しつつも、これという対応策を見いだせないまま日々を過ごしていました。
自己肯定感の低い自分を劇的に変えた海外出張
そんな中で海外出張に行きました。期間は1週間。
行くこと自体は半年前から決まっていたので粛々と準備を進めて飛び立ったのですが、そこでの経験を通じて劇的に自己肯定感が高まっていることを感じました。
実際に見た海外の実情と、そこで自分が感じたこと。またその感覚から何を自分の中に投影させたか。感じ方は主観なので全員に伝わるとは思っていませんが、ありのままを書きます。
空港にて
海外の空港は、日本だとスタッフがやってくれることも客が自分でする、ということが多いです。
例えば、機内に預ける荷物にタグを貼る、という行為。
日本だと台の上に乗せたらグランドスタッフがタグを出してくれて、貼り付けてくれて、裏にあるベルトコンベアに運んでくれますよね。
海外だと、端末を自分で操作してタグを印刷し、自分で貼り付けます。荷物の重さを確認したら、カウンターの裏まで自分で荷物を運んでベルトコンベアに乗せます。
その間スタッフはこちらを不愛想(?)に見ているだけ。
保安検査場においても、X線で荷物の中を調べる機械(名前?)の担当スタッフが荷物を扱う時の適当さたるや。
ヘッドホンをつけて小刻みに体を揺らしながら、荷物の方にも、僕たち上客の方にさえも一瞥もくれません。もちろん挨拶などもなし。
きっちりすることを職場において求められてもいないし、乗客も期待していない。日本だとクレームだったり改善を求める声だったり、色々と細かい指摘がなされることでしょう。
海外で感じた「適当でもいい」という当たり前のこと
僕はこの空港でのいろんな状況を見て「適当でいいなぁ」と感じました。
「自分ももっと適当でいいはずだ」
「締めるべきところでは締めなければならないだろうけど、全てのことに力を入れて取り組む必要はないよね」
というようなことをふと思ったのです。
日本での状況を考えてみると、あらゆる事に対してキチンとしてる人が、そのキチンとしてる自分の基準について、それを正義として他人に対して明に暗に強要してくる状況というのがどうもストレスでした。
「ちゃんとする人」の正論の暴力
これは例えですが、部屋の掃除をどのぐらいの頻度で行うか。
僕が週一回の掃除機掛けで十分だと感じる人だとして、同僚に毎日掃除機掛けをするべきだと考える人がいたとします。
その同僚がいわゆる「声の大きい人」だった場合、週に一回しか掃除をしようとしない僕に対して「サボっている」「ちゃんとやれ」という圧をかけてきます。
僕はその毎日掃除の同僚に対しては「そんなに頻繁にやらなくて良くない?」という反抗をするかもしれませんが、多くの場合「そりゃある程度ちゃんとやった方がいいよね」という空気になることが多いような気がします。
結果として、全体の平均ではなく「キチンとする側の基準」に揃いがちになります。
その時、週一回派の僕はどう感じるか。今思い返せば「毎日掃除をしようと思えないなんて自分やっぱりだめだな」と思っていたような気がします。
本質的なことを言えば、「掃除は毎日しなければならない」なんてことは絶対にない。週一回でもいいんです。でも声の大きい人が一人でもいて「毎日すべきだ」と言ったなら「週一回でよくない?」とは言いにくい。
それは「さぼり」だとみなされ、「もっとさぼればよくない?」とは声を上げづらいからです。
でもこれからは少しでも「そこまでちゃんとする必要はないのでは」と感じた自分の気持ちを大事にしていきたいと感じるようになりました。
まとめ
まとまりに欠ける文章でしたが、日本てそうかもね、という状態を自分の肌で感じたことは大きかったです。外から聞くことと自分で感じる情報の染みわたり方、残り方には大きな違いがあります。
・海外に来て、みんなが適当に過ごしている様子が新鮮だった。
・日本では「キチンとすること」が正しいという考えに陥りがちで、「力を抜く」ことがサボりとみなされてしまう。
・自分は「そこまでキチンとしようとは思えない」人。それでいいじゃないか。至らないことはあるかもしれないけど、別に間違ってはいない。
・周りに同じ感覚の人もいるはず。自分がそう感じる人だということは出していこう。