時代の変化を自分事として捉えよう【チーズはどこへ消えた?】

「先日、チーズはどこへ消えた?」を読みました。

本作はアメリカの医学博士であるスペンサー・ジョンソンの著作で、1998年にアメリカで発売されました。日本では2000年に訳書が発売されており、日本だけでなく世界的なベストセラー作品です(Wikipediaより)。

これまで書店やAmazonのおすすめで何度となく目にしてきた本作品ですが、ようやく手に取ることになりました。

今さらではありますが、学びの記録として概要と感想を記したいと思います。

「チーズはどこへ消えた?」概要

チーズ

本書は、高校のクラス会で久しぶりに再会した友人たちの会話から始まります。

それぞれが家庭や仕事などで自分の周りに起こる変化に対応しようとしているが、なかなかうまくいかない、どうすればいいのかわからないでいる、という悩みを持っていました。

そのうちの一人が、「ある物語」について話し始めます。本人もそれを聞いて以来、『変化』に対する見方が変わり、物事がうまくいくようになったと言うのです。

物語に出てくるキャラクターは、人間の持つあらゆる性質を象徴していて、変化が起こったときに人はどう対応するか、というパターンを表しています。

自分はどのキャラクターに近いか、またどうなりたいか、と考えながら読み進めると面白いと思います。

物語概要

ある遠い国の話。

そこには、食料にするため、そして幸せになるためにチーズを探し回る二匹のネズミと二人の小人がいました。ネズミと小人は毎朝、チーズを探すために迷路の中を進んでいました。ネズミは単純な思考錯誤を重ねて、小人は過去の経験や思考による複雑な方法で。

そしてついにネズミも小人もチーズを発見します。それからは毎朝その場所に行き、チーズを堪能する日々を過ごしますが、やがてその行動様式に違いが現れます。

ネズミたちは、当然そこにはチーズがあることを期待して毎朝通うわけですが、そこに行くたびに常に何か変化はないかと周りの状況の変化を感じ取ろうとしていました。一方小人たちは、そこにチーズがあることは当然であり、しかもこのチーズは自分たちのためのものだと慢心するようになりました。

そしてある日、いままでの場所からチーズが消えていました。

この状況を見たネズミたちや小人たちはどうしたでしょう?

ネズミたちは、チーズがないことを確認すると、当然のように別のチーズを探すために迷路を進んでいきました。

深く考える知能がないと言えばそれまでですが、要は「状況が変わったのだから、それに応じて自分たちも変わろう」としただけです。普段から周りの状況の変化を感じ取ろうとしていたため、変化が起こることに対する備えもできていたと言えます。

一方小人たちは、チーズがないことを確認すると、その事実を受け止められずしばらくその場で打ちひしがれます(笑)。

「チーズはどこへ消えた?」と声をあげ、「こんなことがあっていいわけはない!」と叫びました。そこにチーズがないという事実を受け入れることに時間がかかり、挙句「自分たち以外の誰かのせいでチーズがなくなったのだから、その真相を究明しよう」と言い出します。

やがて小人の一人(ホー)が「このままではいけない」と、新たな道へチーズを探す旅に出ることを提案します。よく見るといつもここに来ていたネズミたちの姿もありませんし、もしかしたら既に次のチーズを探しに出ているのかも知れないと思ったからです。

しかし、もう一人の小人(ヘム)は「ここが居心地がいい」「チーズを奪われたのだから、ここに残って何かを代わりに受け取る権利がある」「ネズミたちは単純だから状況に反応しているだけだ」とそこに残ることを主張します。

何日も議論(口論?)を重ねた結果、結局ホーだけがチーズを探す旅に出ます。未知の迷路は恐怖や不安なしでは進むことが出来ませんでしたが、最終的には新しいチーズを見つけることができます。

ホーは自分の行動を振り返り、古いチーズの幻想にしがみついていた自分を変えたのは何だったかを考えます。そして、「自分と自分の行動がばかばかしく思えるようになった時に変わり始めた」と気づきます。「自分が変わるには、自分の愚かさをあざ笑うことだ」と。

やがて、ホーがいるチーズのある場所に向かってくる足音が聞こえてきます。

果たしてそれは、ずっと古いチーズの場所に残っていたヘムなのでしょうか・・・?

チーズはどこへ消えた?を読んで感じたこと

感じた

四つのキャラクターが、人間としての変化への対応を特徴的に表しており、「いるよなこういう人」と思いながら楽しく読めました。

いろいろと気づかされる点が多い話でしたが、特に強く感じたのは以下の3点です。

  • 自分は「踏み出せていないホー」
  • 「変化」と「ぶれ」の見極めは不要
  • 自分の考えに「核」があるか

順に説明します。

自分は「踏み出せていないホー」

「あの人はヘムだな」、と思い当たる人は比較的簡単に周りに見つかります。一方で、ネズミたちのような人はあまり当てはまる人はいなさそうでした。

そして、自分はどうか?と振り返ると、「変わった方がいいとは思うんだけど迷路に踏み出せていないホー」というのがしっくりきます。

「ここにあるチーズはやがてなくなる。でも今食べられなくなることを受け入れて次を探すべきなのか?」ということを考え続けている感じです。物語ではネズミたちもチーズがないことを確認してから次に行ったので、なくならないか気にしているという意味ではネズミの素質もあるかもしれませんが。

「変化」と「ぶれ」の見極めは不要

状況が変化した、だから動こう。

状況は変化しつつあるが、まだぶれの範囲、だからステイ。

私は変化に対して、このような対応を取りがちでした。「ぶれ」は変化していないと同義とみなし、それに対するリアクションは「変化しない方向」。

しかし、チーズの物語だと「ぶれ」も「小さな変化」であり、この小さな変化に対応することがその後に起こる大きな変化への備えにもなっているということを学びました。

変化は必ず起きるから、いつ起こるかだけ。そして大きな変化の前には小さな変化が起こるから、小さな変化に敏感でありたい。そう感じさせる内容でした。

自分の考えに「核」があるか

自分の中に「核」となる考え方や判断基準などがないと、小さな変化に右往左往するだけの人になってしまう気がします。

小さな変化は認識した上で、それらに対して受け身になることなく、主観的に判断していくことがきっと大切なんだろうな、と感じました。

まとめ

まとめ

全ての変化がチーズだとは限らないけど、あらゆる変化は起きるものであり、それに備えておけるかどうかが重要だということにして思いを新たにしました。

私で言うと、一番当てはまりそうな問題は転職です。これまで12年間同じ企業に勤めてきて、いわゆる「変化をしてこなかった側の人間」ですから、これから変化することに対してはより一層のエネルギーを必要とするだろうと感じています。

小さな変化は起きているぞ。

それがぶれかどうかの判断はいらない。さあどうする?

参考になれば幸いです。